【独学vsレッスン】ピアノを『習う』ことで得るもの、失うもの

ピアノ雑談話

ピアノを独学している大人の方がますます増えてきています。私はピアノ教室を主宰している立場ですが『独学もアリ』だと考えています。

ただ、独学をしている方から「そう少し弾けるようになったら、レッスンを受けに行くつもりです」と言われると←まぁまぁよく言われます(^^;;)…ちょっと複雑な気分になります。

今回の記事では、ピアノ教室の先生として独学について感じていること、そして逆に『ピアノレッスンを受けると失うものもあるかも』ということについて書いてみます。

独学のメリットは、自由であること

ピアノを独学することの大きなメリットは、「自由であること」ではないでしょうか。

  • やりたければ、難しい曲でもチャレンジしてみてOK!
  • もうこの曲や〜めた!と、いつでもやめられる
  • いろんな先生のアドバイスを、いいとこ取りできる

自由に楽しむという目的のために、自分の好きに行動できます。

レッスンを受けることで失うこと、見えてくる新しい価値観

独学の『純粋な楽しみのためのピアノ』に対して、レッスンを受けることは『ルールや秩序を知った上で音楽の世界を広げる』という感じでしょうか。

おそらく『ピアノが上達する』『曲が弾けるようになる』の定義も変わってきます。

楽譜に書いている音やリズムを正確に鳴らしていくことが『曲が弾ける』ことだったのが、それだけではないと知ったり。楽しい、美しいだけでない奥深さを知ったり。

レッスンを受けることで今までとは違う音楽の価値観、視点を見つけることができるでしょう。教える側からすると「ここからはじまる新たな音楽に、ようこそ!」という感じです。

ただし、今までのやり方を捨てても良いというある種の覚悟も必要です。新しい扉を開いたことと引き換えに手放すものもあるかもしれません。

こどもの遊びのような純粋な「楽しい〜!」という趣味ピアノの世界は、失ってしまう可能性があります。

それがその人にとって幸せなことなのかどうかは、わかりません。

途中からのルート変更はシンドイ

「最近ピアノの練習を始めました。もう少し弾けるようになったら先生のレッスンを受けにいきます!」と言われたとき思うのは、

『レッスンは独学とは違う道を歩くことになるの〜。そのうち来るつもりなら今すぐ来て〜!』

ということ。

『レッスンを受けたい』と思ってくれたのなら、道先案内人として『信頼してくれた』のでしょう。それならば途中からアドバイスを求められるよりも、最初からガイドできたほうがお互いにずっと楽です。

初心者にとって近道に思える道も、そのまま進んだらすぐ行き止まりになることもあります。そうした場合、せっかく進んできた道を引き返してもらうこともあるのです。

もちろん独学でピアノを弾けるようになる大人の方も多くいらっしゃいますし、その試行錯誤もアリです。

ただ、「わからないところだけピンポイントで教えてもらって、あとは口を出さないで自由にさせてほしい」という都合の良い希望と「良い先生のレッスンを受けたい」という願望はまず両立しないでしょう。

信念のある先生は、音楽に対する譲れないコダワリがあるものですから。

ピアノの先生は怖いと言われる理由

一般的に「ピアノの先生は怖い」と思われることが多いようです。

もともと自分が優秀だったから、生徒がピアノをちんたら弾いているのにイラつくのではないか?と思われるかもしれませんが、それより

『美しいメロディや和声の存在を見ようともせず、乱暴に弾き散らかされることが嫌』

↓↓↓

『可愛らしい花を、土足で踏んで行かれたくない』

という面があるように思います。

テンポが速い雑な演奏ではなく、ゆっくりテンポで丁寧な演奏をしてほしい、というレッスンでよくある要求。実力よりも難しい曲を弾かせるのを生徒に許可しないことがあるのも、同じ想いからでしょうね。

思い入れが強い人ほど、思わず言葉が強くなってしまう傾向はあるように思います。

【おまけ】頂上のつもりでも、そこは5合目

今回の写真はすべて、夏の終わりに会津磐梯山に登山に行ったときの登山道と、翌日にトレッキングした麓の裏磐梯、五色沼周辺で撮影したものです。ここは表の顔と裏の顔の違いが変化に富んでいて、季節によって見せる表情も違います。

会津磐梯山は標高1816m。そして頂上が「5合目」と言われています。

頂上なのに「5合目」とよばれる理由は諸説あるようで、はっきりしません。「本当はもっと高さがあったのに、噴火で吹っ飛んだから」という説もあるようです。それが本当かどうか分かりませんが、興味深い話だなぁと思っています。

噴火のために標高は低くなってしまったけれど、そのおかげで大小さまざまの湖沼ができて、変化に富む風景が形成されたのでしょう。

ひたすら先を急ぐ弾丸登山よりも、面白い風景を味わいながら歩くことが好きです。

ピアノの演奏も、毎回の刺激や出会い、思わぬ発見があれば、それで十分に意味があると思っています。

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